売春が義務化されていた新バビロニア王国

ルネサンスの時代にイタリアでもっとも売春業が栄えていたのはベネチア。それ以前は、同性愛が盛んで風紀が乱れたことに業を煮やした総督が、取り締まりの強化をあきらめ、代わりに売春宿を国家施策として取り入れました。売春をはやらせることで、同性愛を一掃しようとしたわけです。

世界一みだらな街ベネチアの娼館

当時のベネチアには、観光客用に娼婦を紹介するガイドブックが作られ、仲介エージェントの名前や、娼婦の名前と住所、価格などが載っていたそうです。一種の観光産業としての位置づけもあったのでしょう。娼婦には階級制度がしかれており、下層階級を「コルテジアーナ・アッラ・ソールテ」、高級娼婦を「コルテジアーナ・フィモッセ」と呼んでいました。

高級娼婦は価格が高い分、美人揃いで、一流画家のモデルとしても活躍していました。王侯貴族や作家モンテーニュなど有名人の愛人になった女性も多く、絢爛豪華な生活をしていたと言われます。ベネチアは世界一みだらな街として有名で、娼婦たちにとっては恵まれた環境の整った、快適な商売場所でした。テクニックも「人にない」ものが珍重され、一度寝ると天に舞い上がるほどの快感を与えてくれると称えられる娼婦もいたそうです。

1万人以上いた娼婦の出身地は、ヨーロッパ中

16世紀の記録によると、ベネチアには11654人の娼婦がいたそうです。同じころ、ローマには4900人、パリには5~6千人いたとされますので、ベネチアの売春はローマやパリの倍以上の規模だったことになります。人口の1割が娼婦だったとも言われます。娼婦たちの出身地は、ローマやフィレンツェなどの大都市が中心で、スペインやフランス、ドイツ、ギリシアなど周辺の国々の人たちも大勢いました。

娼婦の名前は、詩的なものや大げさなもの、古代ローマやギリシアの著名な名前からとったものなどがありました。春を意味する「プリマヴェーラ」、帝国を意味する「インぺリア」、第2次ポエニ戦争の英雄の娘の名前「コルネリア」などなどです。出身地がウリになるケースもあるため、名前に出身地名を添えることも多く、ポルトガル出身のレオナルダ・ポルトゲーザ、ローマ出身のパオリーナ・ロマーナ、ベネチア出身のカテリーナ・ベニチアーナなどとしていました。

当時のローマ周辺では、聖職者や教皇庁と結びついて要職を得るため、独身を保っていた貴族が多く、巡礼者や使節も多かったため、在住の男性の6割が独身でした。そのために、売春宿が必要だったという背景もありました。

ルネッサンス期のベネチアは世界一のセックス産業の街。1万人も娼婦がいたそうです。