ヒッピーの楽しみは皆でやること!?

乱交という行為は歴史的には極めて古くから行われていたと考えられますし、必ずしも「タブー」視されていたものではありません。古代ギリシャのある時期には、花嫁は花婿の友人たち全員のぺニスを受け入れるのが習わしだったと言われます。花婿に何か不幸が起こったときでも友人たちが一生涯、未亡人の生活の面倒を見るという約束のためでもあり、セックスでも満足させ続けるという誓いでもあったようです。相互扶助の制度として、成立したのでしょう。

1960年代から70年代に流行した「ヒッピー」の文化においても、乱交が常識となりました。ヒッピーとは、伝統や社会制度に縛られず自由に生きようとする人々のコミューンのことで、アメリカの若者たちの間から生まれたものです。発端はベトナム戦争に対する反対運動でしたが、次第に政治的な思想から遠ざかり、「自由」であれば何でもありと言う価値集団に変質します。マリファナを吸ったり、道端でゴロゴロしたり歌ったり、セックスしまくったりという実に楽で楽しいサークルです。ここでは、乱交が当たり前で、毎日のように性の競演が催されていました。 色んな相手とセックスしたければ、ヒッピー仲間に入ればいい、ということになったのです。

誰に入れてもいい、どこに入れてもいい!?

ヒッピーは、それまでの伝統や規範を破ることが「目的」ですので、不埒なことやアブノーマルなことが称賛されました。浮気や不倫、フリーセックスといったそれまでの価値観では「タブー」だったものを侵すことが、「正しいこと」になったのです。女性は貞操を守るべきとか、結婚するまで処女でいるべき、という考え方を完全否定したため、多くのぺニスを受け入れれば受け入れるほど、女性の価値は高まりました。

また、一人を相手にするのではなく、一度に大勢を受け入れれば、やはり価値が上がります。こうして、乱交が一般化していきました。女たちは次々と違う男のぺニスを口で立たせヴァギナへと導きます。ときには、アナルでも。できる限りタブーを破ることが求められたために、性行為はどんどんエスカレートしていきました。

結局、得したのは男だけだった!?

歴史的に見ても、乱交文化は長続きしません。一定の期間、大流行してもいずれは廃れてしまうのです。ヒッピー・コミューンにおいても同じで、10年ほど「やりまくり」が続いただけで、無くなりました。男も女も気持ちよくなれるという点では同じですが、女は皆妊娠します。「コンドームを装着する」という規範を打ち破るために、避妊をしなかったからです。誰が父親だかわからない子供を出産しても、相手の男たちは責任を取ろうとはしません。「無責任に生きる」ことを大切にする集団ですので、男たちは皆、「俺の子じゃない」と主張したのです。

ヒッピーの乱交は、やりたいだけの男たちにとって都合のよいシステムです。「思想」を装えば、いつでもタダで誰とでもセックスできるために、下心のある男たちが勇んで参加しました。散々やりまくり、やられまくった後で、廃れてしまったのは必然だったのかも知れません。

60年代に流行した「ヒッピー・コミューン」は、文化の香りを漂わせた乱交集団に過ぎなかったという見方もできるでしょう。