サド侯爵のサディズム

サド侯爵は、「悪徳の栄え」「美徳の不幸」などの名作を著わした18世紀の作家です。暴力的なポルノを描き、宗教や法律の制約をうけずに、自由に個人的な悦楽を追及することを訴えました。実生活では、女性の乞食を誘拐してムチで打ち付けたり、大勢の娼婦を集めて乱交パーティをしたり、侍女たちを一室に監禁して拷問したりとアブノーマルな行為を楽しみました。

虐待と放蕩の罪で逮捕され、バスティーユ監獄に11年、精神病院に通算で16年など、人生の半分を牢屋か病院で過ごしています。作品の多くは監獄で書かれたものです。

奔放なのに、嫉妬深かったサド

サド侯爵は牢獄にいる間は性行為はできません。たまに妻と面会できてもセックスできるわけでもないので、性的な欲求不満から精神的にもおかしくなります。妻の浮気を疑いはじめ、妄想がふくらみます。妻からの手紙に「友人のご婦人が一緒に住まないかと誘ってくれた」と書かれていればレズを疑い、「秘書のルフェーブルが本を貸してくれた」とあれば、不倫を疑いました。

「最近太った」とあれば不倫の末の妊娠を疑い、秘書の絵を描いてナイフでぶすぶすと突き刺しました。中性には「人形呪い」の儀式があり、相手に似せた人形を描いて、針で体を突き刺し最後に心臓を一刺しして炎に投げ込めば、相手は死ぬと信じられていました。サドは、必死に牢獄でこの呪いの儀式を実行しました。

現在でもこの絵は残っており、13か所もの穴があいています。穴の中にはサド自身の血液も残っており、狂乱した様子がうかがわれます。

自業自得の嫉妬心

サドはお城で乱交パーティを開いたときに、使用人も招いていたことがあります。秘書のルフェーブルも招いており、そのペニスが大きいことも知っていました。サドは乱交パーティの場で、彼に妻を抱かせ、犯され感じる妻の様子を楽しんだことがあります。そのため、自分の不在中に、妻が秘書に慰めてもらっていると妄想したようです。自らまいた種に翻弄されていたことになります。

妻の方はサドに従順です。「老女の気分で貞節な服装をするように」とか「髪はべったりとなでつけて、胸の見えない服を着ろ」などとサドに命令されると、従いました。手紙には「私の願いはあなたに気に入られること」と書いたそうですので、この妻あってのサディズムだったのかもしれません。

サディズムの語源となったサド侯爵は、暴力的な性行為を好んだ人で、自らの著作にも表現しています。乱れた性生活から牢獄や精神病院に入れられ、妻の不倫を疑い嫉妬心にも狂いました。