三助は、性の処理要員だった?

三助というのは銭湯に居て、お客さんの背中を洗って流してくれる人です。今はほとんど居なくなってしまいましたが、古くは奈良時代が起源のようです。特に江戸時代が全盛期で、浮世絵にも描かれています。
三助の仕事は3つ
三助はその字のごとく3つの仕事がありました。釜たき(お風呂のお湯わかし)、背中流し、風呂掃除です。特に背中流しは三助の技量が問われるうでの見せどころ。いかにお客様にリラックスしてもらい、気持ちよく湯につかってもらえるか、マッサージも習得していました。特に江戸時代は「健康のため」に風呂に入っていたので、三助は欠かせなかったようです。
ウラ三助
実は、この三助にはウラの顔がありました。一つは娼婦です。江戸時代は混浴は当たり前。(途中から混浴禁止になりましたが)そこで春を売るようになったのは必然ともいえるでしょう。背中を流しつつ、マッサージをしていればそこはもうアウンの呼吸で。三助が男性専門の職業となったのは江戸後期のようです。もちろん女湯にも入れたので、そこはご想像の通りです。ところが、それよりもっと意外な「ウラ三助」が居ました。
とても効能のある温泉
子宝湯という温泉が各地にあります。これは子宝に恵まれない夫婦が入ると、子供を授かるというもの。現代ではそれらしい効能が、温泉成分として表示されています。しかし、江戸時代にはとてつもなく「効果」のある子宝湯があったそうです。
あくまで俗説ですが、三助が関係しているようです。温泉も当然おふろですから三助はいます。その三助が奥さんと関係を持ち、それで妊娠するということがあったらしいのです。

当時は子供に恵まれなければ御家は断絶。死活問題です。江戸時代にはEDの治療方法もなかったワケですから、だんなが「元気でない」場合はセックスできません。そんなときのお助けマンが三助だったのです。湯治という名目で温泉に行き、旦那さん公認でそっとセックスをする。子宝の湯というより「子種をもらう」湯という感じだったのでしょう。誤解のないようにお話ししますが、すべての温泉がそうであった訳でもなく、民俗学のなかの一説にすぎません。しかし、男性が原因で子供ができない場合はとうぜん、効果はバツグンだったわけです。
現在の三助は違います
銭湯も減少している中、現在の三助はどちらかというとマッサージ、按摩に近い形のようです。もう、ほとんど見かけなくなりましたが、元々の歴史がそうだったので、三助は筋肉質な、たくましい男性が多いようですね。

いつの世も、たくましい男性に、女性はあこがれます。江戸時代に三助の浮世絵が描かれています。これは当然のことかもしれませんね。美形でうでのいい三助は「指名」のようなものまであって、裕福なお武家様の奥方に、およばれしていたようです。女性は男性よりも枯れるのはおそいようですね。アラフォー世代の女性の不倫が増加しているのも、当然のことなのかもしれません。もしかしたら、昔も表立っていなかっただけで、たくさん居たのかもしれませんね。また、逆に女性に厳しい時代が続いたのは「歯止め」をかけるためだったのかもしれません。

もしかしたら、三助の例で考えると、筋トレをしてマッサージの技術を学べば、モテるかもしれませんね。