ありんす言葉は別世界の象徴だった!?

江戸時代の吉原は、一般人の日常生活とは完全に切り離された特殊な場所でした。お城の作りと同じように周囲は「掘」(ほり)と塀とで囲まれ、出入り口は「大門」1ヶ所だけ。ディズニーランドの入り口が1ヶ所であるのと同じで、隔離されたパラダイスです。もちろんそこには、遊女たちの逃走を防止するという目的もあったのですが、客に対しての演出効果は絶大でした。大門を一歩跨げば、そこにはまったくの異世界が広がったのです。皆が皆、入場した瞬間に、心震えるほどの興奮を感じました。

セックスの悦び、性欲の高まりによるワクワク感、勃起したままいつまでも固くあり続けるペニスの驚き、魂が抜けるほどの性的快感などなどがありましたが、楽園そのものにも特別な価値がありました。それほどまでに、ブランドが確立されていたとも言えるでしょう。そんなワクワク感を演出するのに一役買ったひとつの重要なアイテムが「言葉」です。吉原にはここだけの言語が存在していたのです。それが、「ありんす」です。

なぜ生まれたのか分からない、ありんす

吉原には「ありんす言葉」と呼ばれる、独特の言語がありました。遊女たちは言葉尻に「ありんす」とつけるのです。「~です」「~であります」の代わりに使うのですが、丁寧語でありつつ、相手への甘えや好意のニュアンスを含み、男たちは聞いた瞬間に心を虜にさせられます。「ありんす」だけで、勃起してしまうほどに。まるで、言葉のバイアグラであり、魔法の呪文のような効果を発揮しました。

一度聞いたら生涯忘れることのできない思い出の表現となり、男たちはいつどこで聞いても勃起してしまうほどになるのです。他に「おす」(あります)、「しんす」(します)、「おざんせん」(ございません)、「来なんせ」(きてください)などの表現がありますが、男たちは一戦交えた後の遊女から「また、来なんせ」と言われて、さらにもう一戦交えてしまい、その後には「絶対にまた来るよ」と言い残して帰るのです。

語尾を変えるだけの変化のため、初めて聞いた人でも意味は分かります。地方から集まった遊女たちの出身地を隠すために考案されたとも言われますが、なぜ、どのような過程で成立したのかはよく分かってはいません。

一大観光スポットでもあった!?

吉原は、射精しなくともそこに足を踏み入れて帰るだけでも満足できるほどの場所です。実際、観光地としても成り立っており、多くの旅行客が訪れ土産物を買っていきました。客は男性だけではありません。女性にも人気のスポットで、銀座の繁華街へ遊びに行く感覚で女性たちが集まります。花魁を描いた浮世絵は飛ぶように売れました。最新のファッションがそこにあるからこそ、女たちが訪れたのです。

ここは、外の社会とは隔絶された別世界です。世の中には身分制度があり、最高位のポジションに武士がいましたが、吉原では帯刀は許されません。普段は威張っている侍たちも、大門で刀を預けなければ中に入ることができなかったのです。中に入れば、身分に関係なく平等。当時の社会規範においては、これほど解放感を味わえる場所はなかったでしょう。

吉原は、ありんす言葉に象徴される別世界。あらゆる階層が平等に楽しめる場所だったからこそ発展したのでしょう。