かつて新宿は売春で栄えていた!?

東京にはいくつものビッグタウンがあります。中でも新宿駅は1日の乗降客が3百万人を超すと言われるほどの大きな駅です。JRを始め、京王線、小田急線、西武新宿線、丸ノ内線、都営大江戸線、都営新宿線などが交差しています。新都心などのオフィス街もありますし、歌舞伎町などの飲食風俗街もあります。昼も夜も賑わうエリアですが、かつてこの辺りは、売春でも栄えていました。

昭和の半ばまでは、赤線、青線と呼ばれた売春街があったことは知られていますが、それよりもずっと以前、江戸時代にも盛んだったのです。新宿は、旅人たちがカジュアルにセックスを楽しむことのできる街でした。

新しい宿場町だから新宿だった!?

今でこそ「都心」と呼ばれますが、江戸時代には新宿は街外れです。江戸城のあった皇居周辺や繁華街の日本橋からは、たっぷり歩かなければ行くことができません。当時の交通手段の基本は「徒歩」ですので、今とは距離感がかなり異なります。新宿は、都心から離れたエリアだという認識でした。日本橋方面から甲州街道を伝って山梨方面へと旅する人にとって、「そろそろ一服しましょうか」と考える程度の距離感ですし、山梨や長野方面から参勤交代で江戸城に向かう人たちにとっては、「城に到着する前に体を休め身支度を整えよう」と考える程の距離です。

それで、17世紀の終わり頃にはこの辺りに宿場町ができたのです。新しい宿場という意味で「新宿」と呼ばれ、内藤家の屋敷があったため「内藤新宿」とも呼ばれました。現在の新宿御苑のある土地は、内藤家の屋敷があった場所です。内藤家は現在の四ッ谷から大久保までの一帯を所領していました。ここで栽培された唐辛子は「内藤とうがらし」と呼ばれ、江戸野菜のひとつとして有名で、内藤家の屋敷内で栽培されたものが近隣農家に伝わり、現在の中野から西新宿までの一帯には唐辛子畑が広がっていたそうです。季節になると街全体が真っ赤に染まり、とても美しい景色となりました。

街ができればセックスも繁盛する!?

当初は小さな宿場に過ぎなかったものが、次第に発展し大きくなると、売春宿ができはじめます。岡場所という非合法の売春宿が林立し、セックス街へと変貌したのです。吉原に行くより近くて安いことから、多くの男たちが「軽くヌキに行く」ようになりました。ただ、売春が繁盛すれば風紀が乱れます。幕府の規制によって18世紀の初めには、「お取り潰し」となり宿場はなくなりますが、18世紀の後半には復活して、これが現在の歓楽街へとつづきます。

ゲイの集まる場所として知られる新宿二丁目付近は当時の岡場所地帯であり、昭和30年代初めまでは「赤線」と呼ばれ、合法的な売春の行われるエリアでした。また、新宿ゴールデン街や花園飲み屋街から歌舞伎町にかけては「青線」と呼ばれ、非合法の売春エリアでした。

現在の新宿が最大の歓楽街となっている背景には、江戸時代の宿場があったのです。