セックス産業の発祥は日本橋だった!?

日本の性産業の聖地と言えば、「吉原」です。江戸時代から続く、由緒あるセックスの街。東京都台東区千束付近にあり、駅では地下鉄日比谷線の三ノ輪駅が最寄りです。外国人観光客の人気も高く、大和撫子(やまとなでしこ)との一発を思い出に持ち帰りたいという男たちが、毎夜繰り出してきています。風営法と東京都の条令によって規制され、拡大が難しくなってはいるものの、わが国においては禁止されている売春が公然と行われているエリアです。

お金をやりとりしてセックスしてはいけないと、法律で制限されているにもかかわらず、吉原では毎日数千回か数万回もの性交が黙認されています。その背景には、犯罪の地下化が危惧されると言う事情があるからでしょう。ソープランドを一切禁止しても売春はなくならず、違法な商売をする人が増えて闇の世界の人々を利することになります。働く人々の安全面や衛生面、性感染症の予防といった配慮もあるでしょう。一ヶ所に許可エリアを設ければ、コントロールがしやすいのです。そうした発想は江戸時代にもありました。

徳川家康による幕府の設置により、江戸には大量の男たちが流入しました。それを目当てにした売春業が林立したのですが、規制がないために犯罪が多発したのです。風紀の乱れも激しくなりました。そこで、売春宿を一ヶ所にまとめ、自主的に管理させたのが吉原のルーツです。実は、できた当初は今の場所ではなく日本橋でした。元々のセックスの聖地は、東京のど真ん中、日本橋だったのです。

日本橋はただの原っぱだった!?

今から400年前の日本橋近辺は、まだ何もない湿地に過ぎませんでした。今では、東京駅から歩いて行かれる便利な都心部となっていますが、昔は誰も住んでいない未開の地だったのです。距離的には江戸城からそれほど遠くはありませんが、都市開発が始まったばかりの頃には、まだまだ「遠方」の扱いでした。

江戸時代においても、売春は決して誉められたビジネスではありません。働く女たちの多くは、金のためにやむを得ず体を売っていましたし、生活のために親に売られた娘もいました。あわれな女を金で抱くというシステムは、やはりいつの時代でも「いかがわしい」のです。吉原は「幕府が土地を与えた」とされていますが、当時の日本橋はとんでもない「町外れ」でしたので、決して都心部に歓楽街を作ったわけではありません。むしろ、臭いものには蓋(ふた)をした感じだったのでしょう。営業も日中だけに限定されていました。

吉原は本当はアシハラだった!?

開拓された当時の日本橋近辺は、葦(あし)の生い茂る原っぱで、そこからこの地は「アシハラ」と当初は呼ばれました。ただ、「あし」という音が「悪し」に通ずるために嫌われ、「良し」に変更して「ヨシハラ」と呼ばれ、「吉原」の字が当てられました。関西では、「葦」のことを「よし」と発音しますが、そこから派生した呼び方です。

尚、吉原の建設の中心となった庄司甚内という人物が、東海道五十三次の13番目の宿場町「吉原」の出身であったことも、命名に影響したとも言われています。

江戸の初め1617年に日本橋に誕生した吉原は、50年後の1657年に「明暦の大火」で灰となり、その頃には日本橋は「都心」になりつつあったことから、現在の地に移転させられました。