吉原の遊女は才女ばかりだった!?

男性は美人でスタイルの良い女性に憧れるものです。どうせ抱くなら、可愛らしい顔をしていて、胸も形よくプリプリとしていて、お尻は丸く張りがある。そんな女性を前からも後ろからも攻めてみたい、と考えるものでしょう。ただ、顔がきれいでおっぱいが大きいだけでは、何度も抱きたくなるとは限りません。やはり、長く付き合っていくためには知性も必要です。「メガネ女子」が意外と人気を集めるのは、「頭が良さそうに見える」というのが最大の理由です。

女教師もののポルノ映画では、必ずといって良いほどにメガネをかけた女教師が登場します。普段はマジメそうな顔で授業をしている女がベッドで乱れまくる、というシチュエーションが男を立たせるのです。知性は性欲を高揚させる効果があるのでしょう。性風俗にハマる男性の中には、同じ女性を繰り返し指名して「馴染み」になる人が少なからずいますが、相手の風俗嬢が名器の持ち主というわけではなく、「話していて楽しい」「盛り上がる」といったことが主な理由のようです。

実は、江戸時代の吉原でも同じように、高級な遊女は「話ができる」「楽しませる」素養を身に付けていました。読み書きそろばんはもちろんのこと、和歌を読み芸事にも達者な人ばかりだったのです。男たちは、琴を弾き茶が立てられて舞も踊れて和歌をも読める女を抱くために、大金を惜しまずつぎこみました。吉原はエロチックな才女がとことん喜ばせてくれる楽園だったのです。

吉原では毎日勉強ばかり!?

吉原に入る女性の年令はさまざまですが、8才くらいから16才くらいが普通です。特に、8才~10才くらいで遊女になる少女たちはエリートで、器量や元々の頭の良し悪しにもよりますが、英才教育を施されます。といっても、セックステクニックをマスターさせるのではありません。まだ初潮すら経験していない女の子に客の相手をさせるようなことはなく、花魁(おいらん)の付き人のような仕事をさせるのです。

小さな付き人は「禿」(かむろ)と呼ばれ、花魁の身の回りの世話をしつつ、教育を受けます。禿たちが自分の師匠である女性を「おいらの姉様」と呼んだのがなまって、「おいらん」になったと言われています。花魁は禿に文字や書を教え、和歌を読ませ、芸事の指導をします。わが国では、既に江戸時代に寺子屋という教育システムが成立し、庶民の子どもですら読み書きを覚えていましたが、禿たちの受ける教育は、寺子屋のレベルを遥かに上回っていました。当時、最も高い教養を身に付けていたのは、吉原にいる少女たちだったのです。

禿は花魁が食べさせた!?

吉原におけるトップスターであった花魁(おいらん)の稼ぎはかなりのものでしたが、収入のすべてが自分の小遣いになるわけではありません。衣装代や化粧品代にかなりの費用をかけなければなりませんし、そもそも借金のカタに入れられたのですから、月々の収入からかなりの金額が引かれてしまいます。

それらに加えて、禿たちを養わなければなりませんでした。禿を食べさせ教育を施すことが花魁の務め。まるで、母親のように少女たちを育てたのです。それゆえ、彼女たちの関係は子弟というより家族のようなものであったと言われます。花魁は禿を食べさせるために必死に働きます。バイアグラがなければ立たないようなペニスも、必死になだめて立たせました。何度も射精させるために技術を磨き、気を引くために手紙をしたためたりもしました。そうした行動一つ一つを禿に見せつつ、一人前の遊女に育てていったのです。

吉原における教育システムは、知性的で芸事にも優れたスーパー遊女を作り上げました。江戸時代の吉原が世界トップのパラダイスであったのは、こうしたシステムのお陰でもあったでじょう。